ANA国内線【PR】

神起こし 五月十三日(日曜日)晴

神起こし 五月十三日(日曜日)晴 一行五名

笠倭姫宮月並祭



龍田大社の広々とした拝殿に登る。何時もぴかぴかに磨かれている床に正座。五月の木々の新芽の淡い色や鳥居の朱が床に映えて、清々しい空気の中に浸る。先達に合わせ、級長津彦命(しなつひこ)、級長戸邊命(しなとべのみこと)他、天の神、産土神に向かい、祝詞奏上。



「龍田の大神じゃ。龍田の大神じゃ。」

と名乗って御降臨した神あり。通常は、級長津彦命、級長戸邊命、天照大神御一統が降臨されるのだが。
主祭神は、国御柱大神、天御柱大神であるので、差し当たってこの神は、この地の代々の実力者・豪族である平群一族や立野の守護神であるのではないか。



換言すれば、国御柱大神である。この神の御降臨は、個人的には、二回目である。何回も何回もお参りして、やっと地の神様に巡り合ったという、感激がある。まさに、地の神様、そこに坐す神を起す仕事が、「神起こし」なので、今日は、やっと会いたい神様にお会いできた、画期的な日となった。



笠に移動する。
笠荒神社の社前の砂利に正座。
祝詞奏上。すぐに神が降臨。先達さんによれば、眼前に大きく立ちはだかるようにして、立ち現れた大神は、

「埴土大神である。」

と名乗られた。昨日、埴土山に参拝したが、その時

「埴土(はにおや)の元宮にようこそ。」

と歓迎頂いた神である。無論、この荒神社の主祭神三神の一神である。笠村の産土神である。



倭姫宮月並祭
落葉を掃き除き、榊を換え、祭壇に供物を整え、灯明を上げ、一堂先達に合わせ、祝詞順次奏上。



「この神前で 今、聞きたい加藤さんの事、神様に話してください。」
と先達さん。いきなりではあったが、彼の事をかいつまんで説明した。



1」彼は、農協の課長という管理職である。
2」組合長をはじめ上司とうまくゆかない。
3」中心的役割を果たし、彼の過去立ち上げた二つの事業も、今はタッチすることを許されず、うまく行かなくなりつつある一つの事業が危機状態にあるが、この後に及んでも立て直しのために彼をその役に任じようとしない。
4」一方、友人の誘いもあり、老人介護関連の事業を立ち上げる事を真剣に考えている。
5」農協に止まるべきか、老人介護関連事業に参画すべきか、
6」一番希望は、農協の中で今立ち行かなくなりつつある事業の立て直しを図りたい。二番希望は、5番の老人介護関連事業の立ち上げである。



これに対して、神は先達を通して即断された。

1」老人介護事業は、組む人間と諍いを生むだけで、絶対参加してはいけない。

2」この者、将来に亘って、農協を止めてはいけない。

3」かねてより神は、この者の意向を生かすべく、既存の経営がうまく行かない事業への復帰を考えたが、何かがうまく働かない。この者が原因か、そうでないか。(神はこれ以上この件には、沈黙。)

4」中長期的な観点から仕事をすること。口や付き合いを慎重にして、余りチャラチャラするな。軽すぎる。近視眼的に動くな。

5」慌てるな。じっくり自分で考えて、次の事業の種を温め、ゆっくりと計画を練れ。それでも遅くはない。



神にお礼を申し上げ、本人に充分その意を伝えます、と申し上げた。もちろん本人に伝えるときは、「日々先祖に灯明を上げ、先祖を敬う事、神に向かって日々感謝の手を合わせる事」を忘れるな、と。先祖を敬う事、神に感謝の気持ちなくして、お願い事ばかりでは、神仏に失礼と云うものであるから。



そのあと、個々が順番に神前に玉串を奉納し、先達を通して、神からの「お言葉」を頂く。
参考までに、こちらに対して本日、神が申された事を云いますと、

「人生をそう簡単にあきらめるものではない。お前は、まだまだ長く生きる。(頑張れ)」
と。勇気付けられた。



神様、本日もよくお守をして頂き、有難うございました。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by touhara | 2012-05-15 16:36 | 神起こし | Trackback | Comments(0)

神起こし 五月十二日(土曜日)晴

神起こし 五月十二日(土曜日)晴 一行四名

耳成山口神社、天香久山国常立神社、神の宮(首塚)、水神坐沼社、埴土山、高山神社(リョウサン池)参拝。



「それはなぁ、人がまだ何も体に着けず、裸で生活している頃じゃ。僅かに樹の蔓を編んだようなものを巻きつけ、頭に粗末な飾り用のものをつけて生活していた時代じゃ。」

「・・・そのずーっと以前から【壇ノ平】は、唯一天と神と人が交信でき、また神が降臨し、神の会議が行われる場所だった。今も変わりはない。」




「神の宮」の大神が我々に語り始めた。

これは、まさに【ダンノダイラ】が、日本版「天壇」と思しき場所かもしれない。

支那大陸では、古くから神が一人の人間を選び、支配者として任命した場所との伝えがあるが、日本でもここが神の天下る場所であり、支配者は、こぞってここを神下る「天壇」として崇めてきた場所と云うことになる。



「三輪山信仰もまだ存在せず、この地に住んでいた出雲族もいなかった時代の話じゃ。【壇ノ平】は別格の神聖な場所じゃ。」

「その後、出雲族のこの高地地帯に住みつく前までは、「インべ」が長きに亘って支配していた。」


忌部一族の事と思われる。インベ一族の祭祀場所であったのだ。忌部一族は、岩戸開きで天児屋根命と共に活躍した太玉命を初発とする、天皇の祭祀まで長きに亘って行っていた豪族である。むべなるかな、である。
気になることがあって、ほぼ一カ月程前に、何故か忌部山に足が向き、参拝していたが、ここで忌部一族の名が出てくるとは、思いもよらなかった。
主として出雲族がずーと昔からこの高地に住んでいたと教えられていた。

しかし、この地に坐す「神の宮」の大神は、「壇乃平」を中心に、原始日本人が住していたと教えた。

また大神は、「インベ一族」が出雲族の住みつく以前から、この辺り一帯に集落を形成して、支配していたという。研究者のノートにもない話(実話)である。
西日本一帯に勢力を張っていた忌部一族が他と比べ、とても古い時代からこの地で勢力を持っていたと云うことになる。



大神に最初にお伺いしたい事があった。

それは、最近誰かが山中の尾根道に注連縄と思しき藁縄を四方に張っている場所を見つけ、「ひょっとすると、これが噂に云う若御魂神社跡ではないか」と思われたので、お伺いした次第。

大神は、
「あそこは、若御魂神社跡ではない。出雲族の神を祀ったところである。」

「では、若御魂社は何処なのですか?」

「若宮は(若御魂と同義)この下方になる。」

「水神坐沼社の処ですか。」

「そこじゃ。」

この一言で、若御魂神社跡と、そうではないかと思っていたところが違う場所だったので、お陰さまで疑問が一挙に氷解したと云うもの。



また、大神に、有難いお言葉を頂いた。

「掘り起こそうと思えば、掘り起こせないものはないと心得よ。」と。

神の力を借りれば、どの様なものでも、解決できないものはないよ。

神を信じ、神に聞けば、何時でも教えを頂けると云う事を大神自身から発せられた事だ。
貴重な歴史の講義を受けた事になる。感激ひとしおである。本当にあった事がら、真実の歴史に少しでも近づきたい。神は大きな助け船を出された。

最後に、大神は、先達さんに対して、
「よく参ったのう。御苦労じゃったのう。」と慰労の言葉を発せられた。



水神坐沼社に移動、参拝。天宇受売命、弥都波能売神、弁財天、豊受大命の降臨。参拝を歓迎される。



埴土山に参拝。埴土命、天御中主大神の降臨。参拝を大変歓迎されるも、

「神起こしじゃ。神起こしじゃ。」

と云われる。

最後に、御池の高山神社に参拝、これで今日の予定を消化した。稔り多い今日の参拝を終えた。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by touhara | 2012-05-14 15:30 | 神起こし | Trackback | Comments(0)

神起こし 五月六日(日曜日)曇

神起こし 五月六日(日曜日) 曇

磐坐月次祭

(相撲神社、穴師大兵主神社、奥不動寺、壇ノ平磐坐、巻向磐坐参拝)



磐坐月並祭は、穴師の相撲神社の参拝から始める事になっているが、遅刻の常習犯がいるので、何時も定刻以前に到着している人々にとっては迷惑な話である。



待つ間、相撲神社前の目と鼻の先にある、土俵の傍まで何とはなしに行ってみた。日本書紀に云う、「カタヤケシ」という場所が此処らしい。今は、四本の桧に土俵が囲まれている。「景行天皇の御前試合で、野見宿禰と當麻蹴速が天覧相撲を行ったが、野見宿禰の圧勝に終わった。當麻蹶速のあばら骨を踏み砕き、腰を踏みくじいて殺してしまった。」そうで「蹴速の土地は没収されて、勝者の野見宿禰の土地となったという。」



この時期のヤマトタケル(景行天皇の子)の壮大な物語といい、この天覧相撲といい、大和朝廷の骨格が急速に形造られていく頃の物語であるが、足蹴りの速さで天下随一であった蹶速も、負けたためとは言い、一族の當麻の所領を召し上げられてしまった。もともと事情がよく判らないが、大和朝廷の形成と葛城王朝の没落と重なるものがあるのではないかと想像してもみる。



當麻は、葛城王朝の重要な拠点であっただろうから。もし當麻蹶速が野見宿禰に勝っていたならば、話題にも上らず、大和朝廷賛美の日本書紀には、この一番勝負は掲載されることもなかったし、後世に伝わることもなかった筈。唯 唯一の救いは、現在は、二人の日本相撲の元祖として、また相撲の神様として、崇敬の対象として、仲良く後世の人々によって、相撲神社に「一緒に」祀られていることである。蹶速(けはや)さん、良かったですね。



相撲神社で、お二人の神様に祝詞を捧げ、後、大兵主神社参拝。
天照大神、大山祗大神に次いで大兵主大神、大国魂神(大国主命の別名)、 出雲建雄神の降臨。( 石上神宮:出雲建雄神は当神宮の御祭神 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御子神と考えられ、そのため 「若宮(わかみや)」と呼ばれていました。とある。)参拝を歓迎される。



壇ノ平磐坐のごつごつ岩の多い草むらに各々場所をとり、正座して参拝。
間もなく神々の降臨。天照大神、大山祗大神、大兵主大神、神倭伊波礼琵古命、天御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神、国常立尊の降臨。歓迎されるも、特にお言葉なし。





磐坐月並祭に移動する。
天空暗くなってきたので、天幕を張る。玉串を磐坐の両側の腐葉土にさし、神酒、供物を祭壇の上に陳列し、灯明を上げ、一堂天幕下に正座、祝詞奏上。神々の御臨席。天照大神、天磐坐大明神(地主神)少彦名命、大物主大神、大山祗大神、大兵主大神、神倭伊波礼琵古命、天御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神、国常立尊の其々名乗られて降臨。



間もなく、雷(いかづち)大神の訪問であろうか、閃光と共に雷鳴がとどろき、大粒の雨が降り始め、大雨となった。ここでの、久しぶりの豪雨の中の参拝であるが、天幕で遮られているので雨にぬれる事はなく、大いに助かった。



「一同、よくこの中(雨の中)参った。御苦労。」
と神のお祭りを準備したことへの満足のお言葉を頂く。次いで「(不意に変化する事、急に雨に見舞われるのも、)人生そのものであるぞ。」と御機嫌よく、天御中主大神が云われた。次いで、「禍神(まがつかみ)・・・・」について先達さんの口から言葉が出たようだが、雷と雨足の音に消されて聞くことが出来なかった。



怨霊と禍神とは、だいぶ違う。早良親王 藤原広嗣 橘逸勢 伊予親王 藤夫人、菅原道真の神様はいずれも怨霊と呼ばれる、日々参拝している 神様であり、日々参拝してはいないが、大津皇子、聖徳太子などもこの部類に仕分けされるだろうと思う。みんな立派な神様である。どの様な神様も、大概の場合、人品卑しからぬ人であっても時の権力闘争に敗れた人々であり、人にもとる行為をしていないからこそ怨霊となる。人にもとる行為をしたならば、良い神も当該の人にとっては、禍神(まがつかみ)に変身するのではないだろうか。「災い転じて福となす」ではなく「福転じて禍となす。」ことになるのだろう。くわばらである。



最後に「天下太平、国家安穏、五穀豊穣、御山繁栄」を祈願して、式次第を終えた。
祝詞が終わると、雨は、雷神と共に、嘘のように消え、静かな山に還っていた。神の云うまさに「セ・ラ・ヴィー」である。



(注:當麻蹴速像は、當麻を照会するHPから借用したが、そのHPの所在が判らなくなった。申し訳ありません。)

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by touhara | 2012-05-08 17:41 | Trackback | Comments(0)

神起こし 五月三日(水曜日)曇後雨


神起こし 五月三日(水曜日)曇後雨


椿大神社、入道ガ岳(奥宮)参拝



日頃、御加護頂いている猿田彦大神をはじめ瓊瓊杵尊、栲幡千千姫命、それに別宮の椿岸神社にて天宇受売命にそれぞれ参拝、入山の御挨拶と行路の安全を祈願する。行人三名。



今朝までの雨が上がり、山の端がくっきりと見える。しかし天空はまだ厚い雲が流れる、いわばお誂え向きの登山日和である。神山であるこの入道ガ岳は、岩盤で出来ているためか、自然風化でできる細かな石片が多く、また勾配も急峻と云える箇所が多いので、
水排けがよく、水溜りや泥濘がない。



今朝がたまで降り続いた雨の跡かたもなく、樹間を抜けて吹き付ける強い風も、山の空気の美味さを些かも減じるものではない。心地よい。
こんな時こそ、大げさでも笑われてもよい、思い切り大げさに云ってみたい気になる。「この世に生を受け、生きてきて良かったと思う瞬間である。」と。



今朝がたまで気に掛かっていた天侯が、嘘のように霧消した。やはり、山はその麓に来てみないと判らないという実例だ。しかも、まだ御在所岳も鎌が岳も厚い雲に覆われている。同行の松永さんが云った。「御在所岳のロープウエイは、運航停止でしょう。」と。それに比し、この瞬間のわが入道ガ岳は、頂上付近に一片の雲もない、不思議で、神々しくも見えるのだ。



国定公園に属しているせいか、目立たないようではあるが、山の手入れもよく行き届いている方で、殆どのポイントで下界が眺望できる。急峻な山だけに、下界の平野部や町や村が山裾に迫る。その先には渥美半島まで浮かび上がる伊勢湾が広がっている。その立体感や自然が織りなす「神秘さ」が圧巻である。一斉に芽を吹き出した木々の新芽が山々をすっぽり覆っていて、清々しい。



「この山、一般向けではないですよね。」
「・・・・」
「もし中級向けと判っていたら、麓で引き返しましたのに・・・」
「・・・・」
「もう足、ぱんぱんに張っていますわ。」
「・・・・」
と山の急峻さに、恨みつらみを云っていた同行の松榮さん。北港にある行きつけの居酒屋で成人になって初めてと云う、山行きの誘いに、酔いに任せ「おう、行こうじゃないか。」と応じたために、雨天を心配しながらも、一緒にやってきたらしい。山を降り切るまで、さそった友人や、それに応じたご自分に腹を立てていたに違いない。50代半ばの、企業の管理職。部下も6名程度居られるとか。



心の中で、「判ります、解ります。でも頑張ってください。」と呟いていた。しかし、下山し、帰途柘植付近のモコモコランドとか云う所で温泉に浸かって汗を流した時、彼は
「いやあ、いいお湯でした。お陰で、足の張りが半分ほどになりました。」
と意外な自分の体の回復力に驚いておられたようだった。
「あなたは、絶対山の魅力に取りつかれますよ。すぐに。」
と友人の松永さんがにこにこして、畳みかける。
「いやぁ。それはまずないと思いますけどね・・・」
でも顔は、明るさを取り戻しておられた。三人で、まだ火照っている体を、アイスクリームを頬張って冷やした。



強風に煽られながら、馬酔木の群生する林を抜け、頂上に到達。雲は厚いが、時折その中から真っ蒼な天空を見せてくれる。厚い雲は、すぐ下に見えるすそ野から、平野部、伊勢湾、太平洋と一体になり、一本の地平線を形造り、己が天空を駈ける龍になったような、摩訶不思議な世界に置かれている錯覚に陥る。



北風に乗り、御在所岳や鎌が岳を覆う雲がビューンとこちらに向かって下向してくるのが見える。やがてこちらも、暫し経てば霧の中になる可能性がある。



椿大神社奥宮に参拝。馬酔木に囲まれているとはいえ、突然風が止む。各々神酒を供え、白衣を羽織り正座。ご祭神の天照大神、伊弉冉尊/伊邪那美命、猿田彦大神、天宇受売命、太玉命、天児屋根命に祝詞順次奏上。日頃の御加護に対して感謝の御礼を申し上げる。
「天下太平、国家安穏、五穀豊穣、御山繁栄、地震鎮護」を祈願する。



下山して、帰途に着くと、車のウインドウに雨粒がぽつぽつと当たり始めた。天気を此処までもたせて頂いた猿田彦大神に感謝。



連休でもあり、多少帰途は渋滞に巻き込まれたが、7時過ぎには、無事、大阪の北港に帰りついた。ちょっとやって行こう(直会)と云うので、居酒屋に寄った。件の御仁は、
「何故か、肺活量が急に大きくなったような気がして、生き返ったような気がします。」
意外と率直な方。
「山のお陰ですね。」
「そうかも知れませんね。」
彼は、熱燗が好きな様で、熱燗ダブル、それをサザエの壺焼の中身を頂いた後、殻に厚い酒を注いで、それを徐に口に持って行き、喉に転がすように酒を楽しむ姿を見て、何となくその仕草に感銘を受けた。酒飲みの作法を存じておられる。



「そのうち、癖になりますよ・・・」
と松永さん。御本人も満更ではないようで、
「そうなりますかね・・・」と照れ笑いをしながら、返しておられた。


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by touhara | 2012-05-05 16:53 | 神起こし | Trackback | Comments(0)

神起こし 四月三十日(月曜日、祭日)曇後雨

神起こし 四月三十日(月曜日、祭日)曇後雨

加支多神社、火走神社、犬鳴山月参り



加支多神社では、本殿ご祭神の誉田別尊をはじめとする八幡神御一統の神々に祝詞奏上。次いで大国神、戎神、それに「賽の神」を参拝。「賽の神」が、路傍ではなく、こう云ったお社に堂々と祀られているのは、初めてだったので、気になった。



「賽の神」は、集落の入り口にあって、村を災禍や外敵から守護する神と云われる。道祖神とも云われるようだけど、あまり関西では道祖神は別として「賽の神」の石塔を見かけたことはない。ただ、笠藤井村や笠村奥の小夫村の入り口には、今でも道路の上高く注連縄が張ってあり、毎年張り替えられている。これも「賽の神」の注連縄であり、石塔に代わる注連縄バージョンであるといえる。「邪心を以てわが村に入るな」なのか。各々がた、何事にも邪心は禁物でありますぞ。



五月の連休の始まりでもあり、滝道に入ると、参拝客に混じって、山ガールなどの登山客が目立つ。七寶瀧寺でも、信仰や参拝に関係のない質問や山道などの事を聞かれ、「私達は、観光案内をしているのではないのですがね。」と、山に登ってきた人々を歓迎しながらも、処を弁えず、傍若無人に振舞う人々に当惑気味だ。在家信者や修験者などの助けを借りて、寺の行事を切り盛りされている、省エネ型の寺院ですから、事は深刻な様だ。




本堂で、先達さんが教えを受けた先代さんが、九十二歳で死去したので、先達さんが供養のために護摩を焚いてもらうことに。それに参加する。
「寺としては、この方は、当寺の行者として認識しております。」
と後藤住職。最大の賛辞である。やはり半世紀以上にわたり、当地で神仏に関わる修業をなされた事を、寺側としてもとても重く受け止めておられるのがわかる。先達さんもすでに三十数年、先代の人とダブりながらも月参りを黙々と続けておられる。



滝道途次の九頭龍神社では、神から「御苦労。」とお言葉を戴き、そして、「これからますます忙しくなるぞ。」と激励された。これに先達さんは、「まだ忙しくなるのですか。今も忙しいので、何処までやれるのやら・・・」と降臨した神に大分抵抗しておられたようだけど、所詮は無駄な抵抗といったところ。それだけ神の期待が大きいのだ。



六時過ぎに大阪に帰りつき、直会に先達さんの近所呑み屋に寄った。
月曜日は、夜八時まで中生が一杯190円だったので、大いに杯を重ねた。もう夏の中にいた。一週間前は、まだ外気が冷えていて、ビールをがぶ飲みする雰囲気ではなかった。完全に季節が夏に変わった。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by touhara | 2012-05-02 16:53 | 神起こし | Trackback | Comments(0)

< 前のページ 次のページ >